明日の東播海岸を考える懇談会

第9回懇談会

日時 : 平成10年10月12日

場所 : ホテルキャッスルプラザ

項目

東播の万葉

  • 「荒たへの藤江の浦にすずき釣る海人とか見らむ旅行く我を」(柿本人麻呂)から、藤江は釣りや漁が盛んで、海産物が豊だったことが伺える。
  • 聖武天皇当時、播磨は紀伊、河内と並んで観光地であった。観光の目玉は、畿内では見られない動植物、生活様式、ならびに風景であった。いわゆる、播磨以西は畿内とは別世界であった。
  • 魚住付近に船瀬という地があった。ここには船が泊まるのに適切な瀬があり、白浜があったようである。そこに白波がたち、美しい風景があった。
  • 明石以西は「印南野」と呼ばれ、月も、葦も美しく、柏も豊か(当時、特産品であったようである)、秋萩が咲き乱れるといった非常に美しい風景を有していた。そのため、天皇をはじめとした多くの人々が観光に訪れている。
  • こうした景観を復元することは無意味なことではあるが、昔よかった景観は今もよいはずである。そういう意味で、今後の環境整備に期待したい。
  • 海の表情というのは天候によって大きく変化する。また、見る人の感情によっても感じ方が異なる。そういったことが歌に反映されているように感じる。
  • 歌の多くに「白浜」ということが詠われ、豊かな浜があったことが伺われる。しかし、天候が変わればその場所も変化する。そういう意味では、どうしてもここに浜がなければならないという固定観念で今の海岸を見ると雰囲気が変わってしまうような気がする。
  • 「印南野」の植物としては、「浅茅」「秋萩」「柏」の3種類出てくる。「浅茅」はチガヤのことであり、「秋萩」のハギはチガヤと共存する。「柏」はアカメカシラのことであろう。この植生からして、現在残存しているような景観が昔もあったように思われる。
  • 700年代から既にここに生活があり、海をバックにした文化が存在したように思われる。
  • 奈良時代末期の日本の人口は500~600万人程度であった。その約1割の人が播磨地区に集中していた。出雲や鳥取、因幡の人たちが豊かで肥沃な播磨を目指して南下してきた。そこで、新しい文化との融合が生じ、豊かな文化、生活が播磨地区にはあったと考えられる。

海岸環境基本計画の策定について

事務局提案の骨子

海岸保全基本計画には、海岸保全施設全体計画と海岸環境基本計画の2つがある。前者は、建設省(現・国土交通省)が現在、計画の見直しならびに改定中である。後者については、本懇談会で議論し、策定していきたい。

検討のスケジュール
  1. 海岸の歴史、文化、自然、社会状況等、東播海岸を取り巻く環境を整理し、地元の人々の期待や要望をアンケート等から取り入れたい。
  2. 1.を反映させて海岸環境の整備基本方針を作っていきたい。
  3. 2.の基本方針を基にゾーニングを行い、各ゾーン毎に整備や管理の仕方を検討したい。
  4. 各ゾーン間のネットワークを考えていきたい。

上記の内容を3回の懇談会で議論していきたい。ただし、基本理念を議論するところが最も重要であるので、場合によっては回数を増やすことも可能である。


  • 「東播海岸」というネーミングに関する議論はどうなったのか。世界に誇れる海岸としてのネーミングを考え、そのイメージを作っていくということも非常に重要なことではないか。
  • アンケート調査を有効に利用してはどうか。アンケート(意見の公募)のやり方には、新聞等による募集広告やインターネット、県・市・町の広報等がある。そうした結果を受けて本懇談会で議論させてほしい。こうしたプロセスなしに次回懇談会から議論するのは問題があるように思う。