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概要 |
福井市の下水道計画は、大正12年(1923)頃に立てられたが、財政事情から実施に移されなかった。その理由としては、第一次世界大戦後の経済不況のさなかにあり、福井市では上水道事業の完成間近で、財政的に余裕がなかったことが挙げられる。
その後、第二次大戦による戦災、そして福井地震によって都市が壊滅状態となったにも拘わらず、熊谷太三郎市長をはじめとする人々の熱意がみのり、昭和22年(1947)11月に福井市の下水道事業が認可された。この認可は、全国で53番目ではあるが、終戦後では最初の都市である。
福井市では、昭和23年(1948)2月に下水道建設事務所を設置し、同年4月から橋南第一分区の足羽ポンプ場工事に着手した。しかし、同年6月28日の福井地震によって工事を一時中断せざるをえなくなったが、翌24年(1949)9月から下水道事業を再開し、昭和32年(1957)には完全に排水機能を果たせるようになった。そこで福井市は、翌年11月に計画の第一次変更を行った。次いで事業計画区域の拡張のため、数次にわたって変更を重ね現在に至っている。
福井市の他、武生市・大野市・勝山市・鯖江市・松岡町・三国町・芦原町・金津町・丸岡町・春江町・坂井町・朝日町・織田町・清水町では、公共下水道事業を進めている。
また、汚濁の著しい竹田川流域を対象とした九頭竜川流域下水道(竹田川処理区:福井市の森田地区と川西地区の一部、坂井郡6町)を昭和52年(1977)から事業着手し、昭和57年(1982)7月三国町において供用を開始した。その後、順次整備が進み、平成元年4月に丸岡町・坂井町の供用開始によって当初計画は完了したが、平成8年度より北潟湖の水質保全のために、この流域を下水道区域に編入した。 |
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下水道水洗化率 |
九頭竜川流域の下水道の水洗化率の推移は、表1.3.21のとおりである。 |
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