大戸川の水害の歴史

大戸川の水害の歴史

氾濫を繰り返した大戸川。今なお、不安の残る大戸川流域

大戸川は「水七合に砂三合」と例えられたように、古くから大戸川流域は水害に悩まされてきました。(詳細はこちら)そして、多くの人たちの手によって、田上山地の砂防事業は進められ、今日ではずいぶん緑を取り戻しつつあります。
 
しかし、昭和に入っても、大戸川の氾濫はおさまらず、昭和28年8月の大豪雨では死者44人を出すほどの大災害となりました。昭和57年の台風でも、石居橋が流失しています。

また、平成25年の台風18号では、60戸の浸水被害が発生しました。
このように大戸川流域は今もなお、洪水の不安が残る地域となっています。

昭和28年9月台風13号

大津市羽栗町

昭和57年8月台風10号

出水時の大戸川

昭和57年8月台風10号

出水時の大戸川

平成25年台風18号

平成25年台風18号

平成25年台風18号

大戸川水害年表

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   江戸時代
貞享元~
宝永元
1684
~1704
田上山からの土砂流入のため、牧・平野の耕田が排水不可となり、邸地も湿地化
宝永4~5  1708
~1709
大戸川の氾濫により大被害を受け、中野・芝原が現在地へ移住。以降1875年までに大水害が17回発生
宝永5  1709 大洪水により芝原堤防が決壊
宝永6  1710 大戸川の氾濫により牧村の木造り堤防が決壊
宝永6  1756 大戸川の氾濫により芝原村の田地が残らず流失
明和2  1765 大戸川が決壊し、牧において家屋が流失
享和2 1802 大戸川の決壊により堂村23戸のうち20戸が流失。小字里の内の集落は現在の高台に移住。
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   明治時代
明治16 1884 大戸川が氾濫し、土砂が流出
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   昭和時代
昭和3 1928 大戸川が決壊し、田畑30ha埋没
昭和23  1948 大戸川の増水により荒戸橋が流失
昭和28 1953 8月多羅尾村を中心に甲賀郡南東部一帯の集中豪雨。死者44名、負傷者130名を出す大災害が発生。信楽村でも16カ所で堤防が決壊。また9月の台風13号で大戸川をはじめ、ほとんどの川で堤防が決壊。寺院や民家の床上浸水や田畑への土砂流入、冠水が発生
昭和34 1959 伊勢湾台風。中野梨の木川が決壊し、家屋10数戸浸水
昭和42 1967 大戸川堤防が決壊し、濁流が芝原町の田地に流入
昭和57  1982 台風10号により石居橋が流失
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   平成時代
平成7 1995 5月の出水により信楽町黄瀬地区で田畑が浸水
平成25 2013 台風18号により大戸川で越水・溢水・法面洗堀 浸水戸数:60戸