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● 大和川の洪水

大和川治水年表

近世までの治水事業の記録は、ほとんど残されていません。近代に入って、明治政府が招いたオランダの技師、ヨハネス・デ・レーケが大和川の実地調査をしましたが、河川改修には至らず、現在に直接つながるのは、昭和6年に起こった亀の瀬地すべりに対して昭和8年から行われた大和川の応急工事からでした。そして、昭和12年からは内務省の直轄工事が施工され、本格的な大和川の改修がはじまりました。

明治12年(1879)10月 大阪〜奈良の水運のため、亀の瀬の狭削部の掘削着手(明治16年2月完成)
明治23年(1890)7月 内務省傭工師ヨハネス・デ・レーケが大和川を視察し、報告書提出
明治36年(1903) 亀の瀬地すべリ、河道隆起
※大正年間の工事は災害復旧が主で、改修工事といわれるものは行われなかった。
昭和6年(1931) 亀の瀬地すべり大和川を閉塞し、王寺町藤井浸水
昭和8年(1933) 大和川応急工事着手(計画高水流量1,700m3/s藤井)(10年竣工)
昭和10年(1935) 潮止堰竣工
昭和12年(1937) 大和川第l期改修工事着手(計画高水流量2,000m3/s柏原)
昭和23年(1948) 王寺堰堤竣工
昭和24年(1949) 淀川・大和川洪水予報連絡会の設立
昭和27年(1952) 柏原堰堤着手(29年竣工)
昭和28年(1953) 台風13号奈良市内河川氾濫、初瀬川等で破堤計画高水流量2,500m3/s(柏原)に変更
昭和29年(1954) 佐保川合流点〜曽我川合流点間の捷水路着手(39年竣工)
昭和37年(1962) 窪田井堰着手(39年竣工)。亀の瀬地すべり直轄事業着手
昭和41年(1966) 新河川法に基づき一級河川に指定。大和川水系工事実施基本計画制定 基本高水流量 2,500m3/s(柏原)計画高水流量2,500m3/s(柏原)
昭和42年(1967) 大和川水質汚濁防止連絡協議会の設立
昭和45年(1970) 大和川環境整備連絡協議会の設立
昭和51年(1976) 大和川水系工事実施基本計画改定 基本高水流量5,200m3/s(柏原)計画高水流量 5,200m3/s(柏原)
昭和56年(1981)10月 奈良県側総合治水対策協議会(準備会)の設立
昭和57年(1982)6月 大和川水系北部河川に「総合治水対策特定河川」の指定(竜田川、東生駒川、富雄川、佐保川、岩井川、秋篠川、地蔵院川)
昭和57年(1982)8月 台風10号及び台風9号崩れの低気圧により西除川、葛下川で大被害。大和川下流、大和川上流激甚災害対策特別 緊急事業の採択
昭和58年(1983)2月 大和川流域総合治水対策協議会(奈良県側)発足
昭和63年(1988) 大和川直轄特定高規格堤防整備事業着手

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