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六甲山の歴史街道

徳川道

江戸時代末期、兵庫開港が決定された時、大名行列と外国人の衝突をさけるために、西国街道から山中をうかいする道がつくられました。それが徳川道。

記録によると、当時のルートは石屋川の西側から、杣谷峠、摩耶山の北側を通って明石の大蔵谷でもとの西国街道と合流する、全長約34km。しかし、開通してすぐ道は使われなくなり、神戸の居留地の近くで外国の水兵と備前藩との間でおきた神戸事件のとき、武士がこの道を使って逃げたという話が残っています。

写真

魚屋道(ととやみち)

魚屋道は、六甲越えの古い道で、そのルートは、東灘区森北町から芦屋ロックガーデンの西の尾根筋を通り、風吹岩、横ノ池、東おたふく山を通って有馬にいたっています。

徳川時代、南のふもとの海岸でとれた新鮮な魚介類をかついだ魚屋が、北のふもとの有馬温泉まで、この道を越えて通ったことから、この道は魚屋道と呼ばれていました。

アイスロード

現在のように冷蔵庫でかんたんに氷がつくれなかった明治・大正時代には、冬の寒さのきびしい時期に、六甲山頂の池に厚く張りつめた氷を氷室に貯蔵しておき、夏になるとその氷を神戸のまちまで運んで売っていました。
六甲ケーブル下駅から前ガ辻までの氷を運んだ道をアイスロードと呼んでいます。