第1章 死者を減らすために

1. 震災の死亡原因
 阪神・淡路大震災で亡くなった人の原因は、「圧死」の方が大部分(約3/4)を占めており、「焼死」の方も約1割であった。


図1 阪神・淡路大震災の死亡原因
資料: 『阪神・淡路大震災調査報告 総集編』(阪神・淡路大震災調査報告編集委員会、2000年)、厚生省大臣官房統計情報部「人口動態統計からみた阪神・淡路大震災による死亡の状況」(1995.12)より作成。
注1: 「その他」には、頭・頸部損傷、内臓損傷、外傷性ショック、全身挫滅、挫滅症候群などがある。
注2: 死者総数5,488人
注3: 消防庁発表による2000年12月現在での死者数は6,432人(関連死者数910人を含む)である。



炎上する市街地から立ちのぼる黒煙

1階部分がわからないほど倒壊した家屋


 死亡原因として最も多い「圧死」を減らすには、家屋の耐震性強化と家具転倒防止に取り組むことが、まず重要である。


 地震に対する備えの重要性を語る被災者の声
 神戸は地震の少ない所だと信じさせられていたので、洪水などには注意しても、地震に対してはあまり関心がなかった。家を建てた時(S.53)も大工さんが「地震に強いように筋交いを入れておきましょうと言われた時もそんなに必要かしらと思った位だった。タンスが三つに折れて転んだり、ガラス戸棚がメチャメチャに壊れてガラスが突き刺さるように布団や畳に落ちたりと、もっと普段から備えておくべきだったと思った。
【被災住民】
資料:「震災とインフラ施設に関する体験・意見の募集アンケート」(近畿地方整備局、2000年度)


 同時に、それ以外で「圧死」や「焼死」を減らす方法はなかったのだろうか。


2. 早く助けるほど高い生存率
 救出者のうち生存者の占める割合について日を追って見ると、早く助けるほど生存の確立は高かった。被災当日の1月17日は、救出者の4人に3人は生存していたが、翌18日では、救出者のうち生存していた人は4人に1人しかいなかった。

図2 救出者中の生存者の割合の推移(1月17日〜21日に5日間)

 倒壊家屋の下敷きになったままで焼死された方も、早く救出できれば助かったかもしれないことが悔やまれるが、救出の人出が足りなかった。


 救出依頼が多かったにもかかわらず、人出が足りなかった
 午後零時前、東灘署員の出勤率は約九割に達した。しかし騒然とする受付には、婦人警官と交通巡視員が立った。訴えがあった生き埋め現場をメモに記し、住宅地図に書き込む。それを基に、出勤してきた署員が次々と救出に向かった。
 正午、本署に残ったのは菅井署長、中尾副署長ら幹部と現場からの無線を受ける地域課員の計5人。それに対して救助を求める届け出は194件に達した。「そこにまだ人が残っとるやないか、早く助けにこんかい」。署の奥で指揮を執る中尾副署長にも、容赦ない罵声が浴びせられた。
 日が落ち始めた。しかし、救助を求める市民は途切れない。夜になって、滋賀県警の投光車が到着した。停電した署内を窓越しに照らす中、受け付け作業は徹夜で続いた。メモは積み重なっていった。
 「朝には声が聞こえていたのに、昼になったら聞こえなくなって…」。ある女性は何度も署に足を運んだ末、交通巡視員の西塚愛佐さん(20)の前で泣き崩れた。「助けに行けない、行ったとしても何もできない自分がはがゆい」と、西塚さんは思った。
 18日午前零時で救助が必要な人は、東灘署に届け出があっただけで589人。警察の力が問われる修羅場が続いた。管内の死者は、最終的には1,200人を超え、神戸市内の各区で最多を数えることになる。
出典:『大震災 その時、わが街は』(神戸新聞社編、1995年)



3. 早期救出に活躍した市民
 被災地内の消防・警察の人員だけでは間に合わないため、被災地内の市民による救出活動が重要な役割を果たした。
 しかし、救助のための資機材が不足していたため作業がはかどらず、今後、救出の資機材を保管する備蓄倉庫を公園等に設置するよう、各地での取り組みが期待される。


 近所の寮生による救出活動も多くの命を救った
 空が白み始めた。寮生らは自然に3、4班に分かれ、助けを求める声を頼りに本格的に救出を始めた。寮の北50mにある二階建てアパートは一階部分が崩壊し、老女が下敷きになった。松木文夫さん(25)ら3人が駆けつけた。二階と一階の隙間からアパート内に入り、老女を探す。床下に落ち込んでいるのが見えた。救出にかかった。その瞬間、二階の屋根が崩れた。3人とも下敷きになった。約30分後、無事救出されたが、「死を身近に感じた」。
 正午を過ぎた。住民からすがるような声が届く。岡田さんと長谷川さんは、一階が押しつぶされた二階建ての家を崩しにかかった。男性一人が下敷きになっている。隙間の奥に布団が見えた。二時間がかりで掘り進んだ。しかし、太い柱やがれきに阻まれ、どうしても届かない。数時間後、岡田さんはもう一度その家に向かった。下敷きになった人の孫らしい若い男性が、隙間に手を入れ布団を引き出そうとしていた。だが、無理だった。「もうだめですかね」。問われた岡田さんは何も言えず、両手を合わせた。
 この日、寮生は御影中町周辺で10人を超える住民を救出した。しかし、バールとノコギリだけでは、あきらめざるを得ないケースの方が多かった。
出典:『大震災 その時、わが街は』(神戸新聞社編、1995年)


 近所の人の救出活動によって多くの命が助けられたが、機材が圧倒的に不足していた
 市民アンケートによると、回答者のうち20.6%が地震後1〜2時間に救出・救助活動に携わったと答えている。30〜50歳代の男性は、実に3人に1人が救出活動に従事した。神戸市消防局が行った市民行動調査でも、近隣での救出活動を見た人の60.5%が「近所の者」の活躍を目撃している。こうした一般市民の救出活動によって助けられた人々は、数千人にも及ぶのではないかと言われている。
 救助活動を妨げた最大の要因は、救助のための資機材が圧倒的に不足していたことだった。消防署には、市民から「スコップを貸してくれ」「バールはないか」との声が殺到した。エンジンカッター、チェーンソー、のこぎり、ハンマーから自動車修理工場のジャッキまで、思いつく限りのあらゆるものが使われた。木造住宅の倒壊現場では、土壁の竹や縄を切るために包丁まで使った。
出典:『阪神・淡路大震災 被災地“神戸”の記録』(ぎょうせい、1996年)



4. 最優先で通すべき救助部隊
 被災地外からの応援(消防、警察、自衛隊)が、道路渋滞に巻き込まれ、到着に時間がかかったことも、救助活動が大幅に遅れる一因となった。救助活動で道路渋滞に巻き込まれたのは、救助部隊だけでなく、救助のための重機材を運搬する車両や救急患者の輸送車両も渋滞に巻き込まれた。


神戸方面に向かう車で渋滞してる国道43号と倒壊した阪神高速道路
図3 地震直後、平常ラッシュ時の半分以下にもなった旅行速度
出典:『新時代を迎える地震対策』(建設省監修、1996年、ぎょうせい)


 救助に向かう途中で渋滞に巻き込まれた
 発生当時の人命救出作業に従事するものが少なかった。道路が渋滞し、緊急車両の通行に障害が出た。
【警察官】

 地震発生直後から救助活動に従事したが、各所の救助現場に到着するのに消防車輌自体がガレキ、倒壊家屋の上を車輌の損壊を懸念しながら通行する状態で、それも良い方で車輌通行不能の救助場所には人力により救助資材を運び、救助活動した箇所も多々あった。
【消防隊員】

 道路の大渋滞により、活動地域に車両で移動できなかった。当時の状況:震災当日、灘区王子動物園に集結して人命救助活動を実施したが、山手幹線及び国道2号ともに大渋滞であり、高羽町までの約4kmの距離の移動は全て徒歩であり、活動に必要な資機材の運搬についても車両は使用できなかった。
【自衛隊員】
資料:「震災とインフラ施設に関する体験・意見の募集アンケート」


 救助用の重機運搬も渋滞に巻き込まれた
 1月17日の震災当日、会社の指示により現場を中止し、準備して15時に協力業者を含めて50名、重機をトレーラーにて京都地区から出発したが、現地に着いたのは21時頃で大渋滞であった。
【救助活動に従事した建設会社】

 救助を求める場所には救助の資機材が容易に搬送できる所まで車輌がつければもっと迅速に救助活動が出来、短時間により多くの人命救助が可能と思われる。故に災害発生時には安全に避難できる場所と、災害活動が少しでも容易にできるようにその現場まで到着できる道路の確保、火災発生時に初期の段階で消火できる水量の確保が必要と思われる。 
【消防隊員】
資料:「震災とインフラ施設に関する体験・意見の募集アンケート」


 渋滞は救急患者の輸送も妨げた
 道路の渋滞−入院患者を他医療機関に移送したが、道路の渋滞により移送に時間がかかった。
【医療関係者】

 道路渋滞によって救急患者の搬送が長時間かかった。当初から支援物資輸送車両で幹線道路が大渋滞となり、緊急車両の通行が阻害された。倒壊家屋によって車両の通行障害があった。市内西部に位置する救急の医療機関への道路がすべて通行不能となり、孤立させる結果となった。
【消防隊員】
資料:「震災とインフラ施設に関する体験・意見の募集アンケート」


 道路渋滞の最大の原因は、落橋などによる幹線道路と鉄道の寸断であったが、安否確認や見舞など、救助以外の自動車の殺到や交通規制の難しさも渋滞に拍車をかけた。

図4 目的別の自動車利用状況(人トリップ/日)

 パニックの中での交通規制は難しかった
 東方の空に黒煙が高く上がるのが見え、煤が降ってきた。車の列を縫うようにして消防の応接部隊がやってきた。それに交じって市民の訴えも相次いだ。「親がいるんや。行かせてくれ」
 「自分は医者や。助けに行きたい」。心情として、機械的に退けることは難しかった。その日、渋滞は延々と姫路まで連なった。
 18日午前6時、県警は署長規制による緊急輸送区間を指定した。さらに19日午後8時からは、災害対策基本法による道路規制を発効させる。
 翌20日早朝、尼崎市の杭瀬交差点などで、稲吉係長は大阪方面からの車の迂回誘導を始めた。規制により緊急車と一般車を見分ける基準が生まれた。
 「許可証のない車は通れません。止まりなさい」。稲吉さんの振る停止棒は、規制を振り切った乗用車にはじき飛ばされた。許可証を持つトラックの影に隠れ、数台の乗用車が交差点を突っ走って行った。
 規制の看板だけでは効果は薄れる。車はわき道からも流入してきた。しかし、地震直後の混乱のなか、違反を取り締まる十分な人員を割く余裕はなかった。未曽有の災害は、渋滞の対応にも大きな制約を加えた。「17日以降の道路状況は、渋滞というより、パニックの感じだった」。屋久課長が振り返る混乱は、一刻を争う救出・救援活動に深刻な影響を及ぼすことになった。
出典:『大震災 その時、わが街は』(神戸新聞社編、1995年)


 実際に救助に携わった警察官や消防隊員からは、交通規制を求める声が多く寄せられている。

 交通規制の必要性を強く求める救助従事者の声
 被災当日、兵庫県警察災害警備本部に詰めていた。午前中は神戸市の中心部において、車両の通行が比較的スムーズにできたが、夕刻近くになって、移動の車両による交通渋滞が発生し、緊急車両(特に大型消防車)の通行が、ほぼ不可能になったことが一番くやしかった。
【警察官】

 初めての体験とはいえ、震災時の自動車の乗り入れは絶対に規制すべきである。
【消防隊員】
資料:「震災とインフラ施設に関する体験・意見の募集アンケート」


 被災直後の道路利用は、救助部隊の移動が最優先されるべきであり、特に初動期は、救援物資輸送よりも人命救助が優先されるべきであるとの意見もある。

 人命救助を最優先する初動期の交通規制の必要性に関する提言
 「人命救助と比べれば相対的緊急度の低い食料運搬車が初期段階で殺到した。人命救助の人員が足りない時に"いま一番必要なのは食料と水です"という報道をくりかえすマスコミも含め、緊急輸送の順序の判定とその広報の方法の検討が重要です」と語る中川さん。
 「1月19日、私たちは西宮市と芦屋市境で一般車両の走行目的調査を行ったが、被災者自身の緊急避難や外部からの救援活動など、生きるため、助けるための車がほとんどで不要不急のものと断定できる交通は少なかった。病院輸送などで一般車両が果たした役割を考えれば、どの車を規制すべきなのか、現場で的確に判断することは不可能。渋滞の問題を単なる交通処理技術の問題として片付けてはならない。行政の側には、災害の状況全般を時々刻々と把握したうえで救命医療、食料配給などに必要な交通を総合的に判断する能力を持った組織が必要。市民の側には"足りないものは自動車が運んできてくれる"という発想そのものを見直すくらいの備えが必要だ。」
出典:インタビュー「都市の再生と復興に向けて/京都大学中川大助教授」『日刊建設工業新聞』
(1995.06.07)


 いずれにせよ、救助部隊を円滑に到着させる交通規制が必要であり、交通施設の被災状況によっては救助部隊を最優先させるべきである。被災直後には、被災状況や交通規制の情報を十分に把握して、支障がない限り、個人的な安否確認や救援物資の輸送のため、自動車で被災地に入ったり、被災地内を移動するのを控えることが望ましい。

 また、交通規制が難しかったことから、例えば、出入制限があり、耐震性の強い高速道路が利用できれば、もっと円滑に救助活動ができたという意見がある。


 緊急時の確実な交通ルートを担う高速道路への期待
 こうした直接の被害以上に今回問題になったのは、緊急時の確実な輸送ルートが失われたということです。高速道路があれば、出入口を規制するだけで一般車の流入を防げますから、緊急車両や救援物資の輸送車両の運行がはるかにスムーズに行われたはずです。高速道路は緊急時の交通ルートとして必要不可欠のものとして、絶対に壊れない安全性を計算して建設されるべきではないでしょうか。そのための費用負担について、国民的合意は得られると思います。
出典:「道路交通へと望むこと/相澤冬樹(NHK記者)」『交通工学vol.30増刊号』
(交通工学研究会、1995年)


 震災の教訓から建造物の耐震設計・構造の研究が進み、国では、道路橋の技術基準の見直しを行い、補強対策事業を実施している。また、関係機関と協力して緊急輸送道路のネットワーク整備も進めている。

<緊急輸送道路ネットワークのイメージ>
 災害時の救援活動、消防、生活物資等の緊急輸送に重要な道路については、緊急輸送道路ネットワークとして全国で整備を進めている。このネットワークの道路は、沿道に建っている建物等も含めて地震に強い構造にするとともに、河川敷道路等も活用し、公園等の防災拠点や、港湾や鉄道駅等とも結びつけることを目指している。

緊急輸送道路ネットワーク
「SA,PA」SA=サービスエリア、PA=パーキングエリアの略称。レストランやトイレ、ガソリンスタンドなどがある高速道路の休憩施設。
「道の駅」=道路を快適に利用できるようにという発想から、休憩のためのパーキングエリアとしての役割だけでなく、地域の文化や歴史、名所や特産物などの魅力を紹介する情報発信基地や、地域と道路を利用する人々をつなぐ地域に根ざしたふれあいの場所としての役割などを、地域ごとの個性を活かして追加している道路沿いの施設。




5. 出火と延焼の防止
 死亡原因の約1割を占める「焼死」を減らすには、出火と延焼を防ぐことが必要である。出火原因については諸説があるものの、被災直後でない出火もあったことから、通電火災や残留ガスへの引火等の指摘もあり、被災後の電気やガス等の取り扱いには十分注意する必要がある。

 被災後の通電火災や残留ガスへの引火等に関する指摘
 停電の後、復電した時、倒壊した家屋から出火した。
【被災住民】

 震災発生の3時間後に電力が復旧した。しかし、その時点でガス会社の対応が出来ておらず、あちこちでガスが吹き出していた。市内で発生した火災の大部分は、この残留ガスに倒壊した建物の電化製品からショートした火花で引火したものではないかと感じました。
【被災住民】
資料:「震災とインフラ施設に関する体験・意見の募集アンケート」


 避難の際にはブレーカーを降ろすなどの対策も大事である
 これまで、地震の際に注意しなければならないのは、調理や暖房等のガス器具や石油ストーブだと言われていた。だが、神戸市消防局によると、震災後10日間の火災のうち家電製品や電源コード等電気関係を主原因とする火災は33件。神戸大学の調査でも、ヒアリングで原因を特定できた84件の火災のうち、電気関係38.1%、ガス関係17.9%、電気とガスの両者に関係するもの10.7%とされる。このため、過去の地震災害ではあまり問題とされなかった電気器具の危険性が、大きな注目をあびた。
 電気火災の内訳を詳しく見ると、電気器具、特に電気ストーブによるものが最も多い。そのほとんどは、地震後の散乱状況の中で転倒したり、落下物などが当たってスイッチが入ったりしたものだ。電気ストーブには、転倒すると電源が切れる安全スイッチがあるが、地震によって室内に多くのものが散乱していたため、何かがこのスイッチに触れて通電状態を保ってしまったという例もある。また意外な原因としては、熱帯魚の水槽用ヒーターも多かった。
 その一方で、これまでほとんど問題視されていなかったことの反動で「電気火災」が大きく取り上げられすぎた面もある。原因が判明した67件の中では電気火災が半数を占めたことは確かだが、100件を超える原因不明の火災はほとんど地震直後の停電中に起こっている。実は、火災全体の中では、電気火災の占める割合はずっと少ないと考えられている。
 暮らしの中に数多くの電気製品が溶け込んでいることを考えれば、電気火災が起こることも不思議ではない。避難の際にはブレーカーを降ろすなど、これまであまり指摘されてこなかった対策が今後の教訓として残された。
出典:『阪神・淡路大震災 被災地“神戸”の記録』(ぎょうせい、1996年)



 地震で断水したため消火用水の確保が難しく、火事を消し止めにくくさせたことも延焼を広げ、被害を大きくした要因であった。
 消火栓が使えないところは、川、海、学校のプールなどの水を利用して消火に当たったが、身近なところから十分な水を確保し、消火に利用することは難しかった。




 地震で水道管が壊れ、利用できなかった消火栓
 私の小隊(消防車輌)は火災発生時に火元に近い所にいた。消防活動しようと放水すべく消火栓を開栓したが断水しており、約200m離れた学校施設のプールに車輌を持っていき、水を確保し、放水したが水量に比べて火勢が強大で水源も底をつき、さらにプールより遠方の湊川に水源を求めて移動し、以後放水をした状況であった。
【消防隊員】
資料:「震災とインフラ施設に関する体験・意見の募集アンケート」




 全体としては、消火用水の確保が難しかったが、西宮市のように、渇水時対策として川の水を利用する工夫をしていたので、震災時にも川の水が消火用水として利用でき、延焼も少なかったという報告がある。

 日頃の渇水時対策が役立った西宮市消防局の取り組みの紹介
 発災と同時に市内の消火栓のほとんどが断水し、使用不能状態となった。このため防火水槽、井戸、プール、受水槽、池をはじめ、水量の少ない河川、溝水等からも土嚢やビニールシート、倒壊家屋のガレキ等を使用し、水をせき止めて取水した。
 これは、渇水による教訓から平成6年9月に「異常渇水に伴う特別消防体制」として、以下について各消防署に通知徹底したことが功を奏した。
  • 自然水利の確保と有効活用を図るための部隊運用
  • 公共建物、危険地域、危険物製造所などの人命危 険対象物の異常時火災警備計画の事前策定
  • 積載ホースの増加、土嚢による河川せき止め等の 資機材の増強
  • 消防団との連携強化等の徹底
出典:『阪神・淡路大震災の記録2』(消防庁、1996年)


 川や海などの水を利用する場合も、遠くからでは様々な障害がある。実際、ホースをつないで遠くの川や海などから水を送ったが、交差する道路で車に踏まれてホースが裂け、幾度も放水が中断してしまった報告もある。

 消防のホースが、通過車両に踏まれて何度も穴が空いてしまった
 放水する水がなかったこと。地震当日、私が勤務する垂水消防署管内は、幸いにも大きな被害もなく、火災発生も少なく、垂水署員は大火の続く長田消防署管内を中心に交代で応援に出たが、鉄砲はあるが弾を持たない兵隊のように、火災という敵に対して我々は無力であった。我々消防人は、何ともいたたまれない気持ちになったが、一矢報いたいと気を取り直して、ガレキの下から数少ない"防火水槽"を探しだし放水するもすぐに水が無くなった。また、水量の少ない河川からも放水したが、ポンプ車一隊の持っているホースでは、約300m余りしか届かず、ポンプ車数台を中継してやっと火災現場に水が届いたが、その水量は少なく、筒先1本しか使えず、燃えさかる炎を防御する力はなく、炎は建物を次々と延焼していった。また、ホースの上を通行する車や単車が度々ホースを破裂させ、放水を中断させられた。我々は腹立たしさを越えて、無念さと悲しさを覚えた。(私の妻の実家は地震で倒壊を免れたが、延焼してきた炎に私の目の前で焼失した。)「水が欲しい!」「火災に立ち向かえる十分な水が欲しい!」と痛感した。(※垂水区内では、震災後「100t防火水槽」を含めて、防火水槽が30基ほどが整備され、福田川の一部も消防車が接近できるように改修されたが、まだまだ不十分だと思われます。)
【消防隊員】
資料:「震災とインフラ施設に関する体験・意見の募集アンケート」


 さらに、震災時に断水しないように、水道施設の耐震性を強化するとともに、身近な河川や池の水量を常時確保するような工夫も必要である。

<阪神疎水構想>
 震災で水道施設が大きな被害を受け、十分な消火用水の確保ができなかった反省を踏まえ、淀川の水を六甲山麓の中腹に通す疎水に引き入れ、そこから各河川に流す仕組みを構想している。


阪神疎水構想イメージ図




 また、延焼を防ぐには、道路や公園などの空地による延焼防止効果が大きいという資料もあり、これらの整備の重要性が示されている。

図5 延焼防止効果の要因



 道路や公園などの整備の違いによる延焼遮断は、区画整理をしている地区と、区画整理をしていない地区における火災一件当たりの平均消失面積の違いからも理解できる。

図6 市街地整備の延焼遮断効果


 整備された道路や公園が震災時に役立った
 表通りの道路は、都市再開発で広げられており、またそれに伴って通りの建物もビルとなっていたため裏通りのように家が倒壊して道路がふさがることがなく、自動車が通行できた。また、その道路のおかげで、道路をまたいでの火災の延焼はなかった。
【避難所となった学校の当時の校長等】

 住宅密集地であったため、インフラ施設に対して関わりを感じないまま暮らしていた。ただ公園が延焼を防ぐことは実感できた。震災後も長期間、多数の人々が公園で生活できたことを思うと、公園用地の確保はまちづくりの重要な課題であると感じる。
【避難所となった学校の当時の校長等】
資料:「震災とインフラ施設に関する体験・意見の募集アンケート」