九頭竜川流域誌


4.8 浅水川

(1) 流域の概要
 浅水川は、武生市・南条町・池田町の行政界にあたる岩谷山(標高709m)に源を発し、武生市東部域を北方に流下して、鯖江市に入ってから武生市東部平野から流れてくる穴田川および今立町全域を流域とする鞍谷川を合流し、鯖江市鳥羽で流れを西方に大きく変え、鯖江市街地の東側低地域の排水を受け持つ黒津川を合わせ、福井市三尾野地点で日野川に合流する。流路延長約24km、流域面積169.9km2の比較的大きな河川である。
(2) 治水計画の概要
 浅水川は、明治43年(1910)からの九頭竜川改修第二期工事で新川開削が決定し、大正13年(1924)にほぼ現在の浅水川の基本形が出来上がった。
  その後、昭和25年(1950)頃から流下能力を増大させるための河川改修が行われ、昭和37年(1962)、46年(1971)に計画規模を改定しつつ改修が進められた。その結果、日野川合流点付近の疎通能力は420m3/sとなった。
図4.1.19 浅水川流域図
 しかし、昭和35年(1960)12月に策定された「国民所得倍増計画」は、産業の発展と経済成長を基本としたものであり、そのための「全国総合開発計画」に基づき流域内においても工業団地を造成するなど、面的開発が進んだ。また、各支川においても河道改修や農業排水路整備、そして内水排除のためのポンプ施設整備が進み、浅水川に早く大量の雨水が集まり、豪雨ともなれば警戒水位に達することがしばしば生じるようになった。
 そこで、浅水川および支川黒津川の改修計画の見直しが行われ、浅水川については超過確率1/30年で福井市三尾野〜鯖江市下河端までの6.7km区間を改修することとなった。また、支川の黒津川については、鯖江市御幸から長泉寺までの3.2km区間を改修することとなった。

表4.1.6 浅水川改修計画検討経過

(4) 工事の概要
  河川改修計画に基づき、改修事業は昭和53年(1978)に始まったが、用地買収に関わる交渉は昭和56年頃からとなった。
  しかし、下流部については、大正13年(1924)に新川開削されたとき大幅に土地が潰れたことや、標高が高くて洪水に対して安全な地域であることから交渉が難航した。特に、鯖江市出作町については、過去に鯖江市のゴミ消却場建設に伴って一部家屋が左岸から右岸へ移転した経緯があり、そして河川拡幅によって集落のほとんどが移転する必要が生じたため、用地交渉、移転交渉に難航し、10年の歳月を経てようやく地元の理解が得られた。そして、全戸(8戸)が地区外へ転出することとなり、約半分が集団移転、残りについては縁故地へ家屋移転するということで解決することとなり、平成2年(1990)7月21日に三尾野出作町解町式が区民80人が出席して、現地公民館において厳粛に執り行われた。 
(※福建第24号 1991 p.135〜138)
  浅水川は、平成10年(1998)7月10日の集中豪雨で越水するとともに、川沿いの各地で浸水被害が発生した。そこで、浅水川下流部を平成11年(1999)度より、災害復旧助成事業、河川災害復旧等関連緊急事業・基幹河川改修事業で改修することとなった。

浅水川(黒津橋付近) 浅水川(鳥羽橋付近)
浅水川(黒津橋付近) 浅水川(鳥羽橋付近)

(5) 平成10年7月洪水と災害復旧事業
  平成10年7月10日の豪雨は、浅水川の流下能力を越える流出をもたらし、堤防越水が一部区間において発生し、家屋の浸水、幹線道路やJR北陸本線の一時通行止めなど、甚大な被害を発生させた。
  福井県は、被害の再発を防止するため、越水箇所の堤防を原形復旧するのみならず、一定計画のもとに抜本的な改良復旧することとした。さらに、上流部のみ河道改修を進めると下流部で流下能力不足を生じ、災害を発生させる恐れがあるため、上流部での改修効果を十分発揮するよう、下流部においても治水対策を進めるよう「災害復旧等関連緊急事業」でも改修を実施することとなった。併せて、昭和57年度より進行中の「基幹河川改修事業」でも、日野川合流点〜福井鉄道橋までの区間を対象に実施することとした。

浅水川事業区間と計画高水流量配分

図4.1.21(a)復緊事業十基幹河川改修事業区間標準断面
図4.1.21(a)復緊事業十基幹河川改修事業区間標準断面
図4.1.21 (b)助成事業区間標準断面
図4.1.21(b)助成事業区間標準断面


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