九頭竜川流域誌


3. 中世
3.1 朝倉氏の統治時代

 15〜16世紀において越前国のみならず北陸一帯の戦国大名であった朝倉氏は、一乗谷に本拠を構え5代100年間にわたって栄えた。
 朝倉氏は、建武3年(1336)広景のときに斯波高経に従って越前に入り、南朝方の新田義貞軍と戦った。義貞の戦死によって南朝方が壊滅し、越前は斯波氏の領国となったため、朝倉氏が吉田郡にある黒丸城(現福井市西藤島地区)の城主となった。朝倉氏はここを根拠地として腕を奮い徐々に勢力を拡大していった。この黒丸城は、九頭竜川と日野川に挟まれた平野の北西部に位置し、九頭竜川の水運を利用するときの要地に立地していた。
 応仁の乱(1467〜77)中の文明3年(1471)、朝倉英林孝景は将軍足利義政から越前守護職に任じられ、越前国を支配することとなった。そのとき孝景は、防衛上から一乗谷に城を移し城下町を築き、自分に臣従する大身の者を一乗谷に住まわせ、越前の首都とした。それ以降約100年間、京風の文化を根付かせ、一国独立の体制をつくり、戦国大名の原形を成していった。
 一乗谷の発掘調査では、景徳鎮(江西省)窯産の染付や白磁、龍泉(浙江省)窯産の青磁など、中国の明時代中期の焼物が多く出土している。また、朝倉時代の古越前の甕が函館で出土しているということからも、当時の交易が蝦夷にまで及んでいたことがわかる。このような交易活動を支えたのが九頭竜川水系の水運である。
(※街道をゆく(第18巻)越前の諸道 p.161)
 朝倉氏は、越前一帯を統治することに精力を注いだが、治水工事については明白な記録が残されていない。


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